日頃からお世話になっている皆様より「私の見る佐々木」というテーマでメッセージをいただきました。
故 飯田経夫 元 中部大学大学院経営情報学科教授
※飯田氏は2003年8月に逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
長年にわたる彼とのつき合いのなかで、私はもう何年も前から確信していた。彼の識見はいうに及ばず、彼が受けた教育も、その実務経験も、いまの日本では、望みうる最高であろう。しかも氏は、いまその情熱を、若者教育のために傾けつつある。すばらしい人材である。
伊藤 秀 元 三祐コンサルタント副社長
私は1927年にアメリカで生まれ、社会人の第一歩を米軍GHQ、そして後に米軍工兵軍団の極東地区で、幾つかの要職を経て、35年前より国際技術コンサルタンツの道を歩いて参りました。国内からはもとより、海外からも日本をしっかり見つめて来たつもりです。そして7年程前に、私は佐々木賢治氏に出会った。親しく付き合って居る中で、段々と彼は正義感に燃えた実行力を持った行動派である事を実感した一人で、彼の経歴が物語る如く、彼は国際感覚を備えており、これからの21世紀の日本においてなくてはならなぬ人材の一人であると信じております。
日本人は豊かな生活に慣れ過ぎ、ぬるま湯にどっぷりと漬かって、今だにいい気になっているのでは無いか!今、世界にどんな嵐が吹き荒れているか。今、日本はどんな立場におかれて居るのか、真剣に考えたことありや!国あっての日本人、その国がどうなっているか!こんな情勢下で佐々木氏は、かかる憂いの数々を確固たる信念を持って拭い去ることに貢献出来る人だと信じております。
竹内 明 日本仏教教育学会会長・佛教大学教育学部教授
畏友佐々木氏を推す!
戦後五十年余、戦前の気骨を残す世代の後退のなかで、価値観は揺らぎ、何もかも混沌として、様々な言説が飛び交う状態にある。ことに、もっとも基本的なアイデンティティに関わる問題でありながら論壇が先送りし続けた国家像において国論が大きく二分され、国民的コンセンサスが確立されていないということは私ども日本人にとって大きな不幸といわなくてはならない。安全保障問題、教育問題も又しかりである。
この日本を再生させる方途は何か。「改革」の名の下に、グローバル・スタンダードに合わせるのが正しいのではない。必要なのは伝統の上に創造の接ぎ木をしうる縦と横の知性、すなわち、奥深い歴史性と幅広い国際性、および、右顧左眄しない果敢な行動力である。
同窓の畏友佐々木賢治氏は、そのキャリアからして国際性はもとより、歴史的見識においても常々敬服するところである。しかも、これにも増して彼の売りとすべきはその旺盛な熱血の正義感と行動力である。彼は約30年前、1970年安保で騒然とする名古屋大学において、学問の自由、民主主義を唱え学内正常化に向けて敢然と共産党や新左翼の学生と渡り合っていた姿は有名な話しである。共産党の大学自治介入に抗議し1970年9月、名古屋大学学長を相手取り名古屋地方裁判所告訴した行動力は、当時の名古屋大学の多くの関係者に深い感銘を与えた。又彼が1974年12月の三越本店前における「三人組の鉄パイプによる一人襲撃事件」において一人で三人組を追跡しタックルなどし二人逮捕に至らしめ、警視総監賞を受けたことは知る人ぞ知るところである。
これからの日本おいてわが佐々木氏が新風を呼び起こしてくれることを期すること大いなるものがある。願わくは、各界諸兄姉の絶大なるご支援を切にお願いするしだいである。