国民年金の問題ほど、今の日本の政治の実態を暴露したものはない。責任ある立場にあるものが実は一番無責任な事が明らかとなった。年金はこれ迄年金を真面目に払って来た国民の当然の権利であり、年金運用の失敗、無駄遣い、これ迄の無節操な政治家、担当官庁の尻拭いを国民にさせるのは間違いである。 |
年金問題の議論を聞いていると本質の問題が無視されています。年金を払って来なかった各党の指導者、議員には、国民の気持ち、問題の本質が解らないのは当然です。年金は年金を積み立てて来た国民の権利です。 年金運用、管理の問題を無視して議論がなされているのは重大な間違いです。国民年金を20歳で積立始めて65歳から受け取るとすると、その間の運用で相当な金額の年金受取が可能なはずです。20歳の時に支払った国民年金積立年額16万円(実際は159,600円)を、45年間しっかりと複利運用すれば本来16倍になります。年6-7%の運用を続ければ約11年で約2倍となり、45年後には16倍、約256万円となります。この前提に立てば65歳から40年間毎年256万円の年金受取が可能です。 しかも、国民年金制度では65歳までに亡くなった方には、一銭も支払われません。このためもっと多くの受給が可能です。20歳で年金の支払いを始めた100人の内65歳まで生存する人は男女平均で約90人です。この90人だけが年金を受け取りますので、一人当たり受取額はこれだけで10%増え、年間280万円となります。更にいえば、65歳の方の平均余命は約20年です。40年掛けて積み立てた年金を20年で受け取る事になり、年額500万円近くの年金受給が可能なはずです。では、何故日本の年金財政は破綻に瀕しているのでしょうか? いい加減な年金の管理運用を行ってきたからです。その意味で、これ迄年金財源を食い物にして来た政治家、いい加減な運用、管理をして来た社会保険庁の責任は重大です。 困ったことに各政党や、政府、又マスコミの議論を聞いていると、今働いている人達が年金生活者の年金を負担している様な間違った議論が横行しています。年金は若い人達が高齢者のために支払を負担するネズミ講ではありません。年金は本来、年金を積み立てた人達の資金を大事に管理し運用することで得られる年金加入者の当然の権利です。この事を忘れないで下さい。 |
国内において平和、平穏な生活を送っていた市民が外国政府機関により拉致され、生命を奪われるのを放置してきた政府と日本の政治家の責任は実に重い。 |
30数年に渡り日本国内で多数の日本人が外国の政府機関、及びそれに協力する勢力によってあるいは殺害され、拘束されて来た。国民の生命の安全をないがしろにして来たこれ迄の政府、政治家に私達はハッキリとNoという時期に来ています。 小泉首相の北朝鮮訪問は失敗です。参議院選挙を前にした人気取りを狙った訪朝であり、足下を見られた交渉でした。更に帰国後、5月22日夜の拉致被害者家族との会見は、小泉首相の冷酷さを示しています。30年間放置された拉致被害者家族を政治的に利用し、突如小泉首相側の意向で公開のテレビ放映として自らの人気を高めようとする人道にもとる行為です。数百人に上るといわれる北朝鮮拉致被害者、並びにその家族をこれ迄日本の政府、各政党は30数年間ほったらかしにして来ました。こういった政治を変え、先ず日本の国民の命を守る政治を実現する時期に来ていると思います。 |
イラクの現状、イラク国民の将来、又日本の国際社会における立場を考えると自衛隊派遣、国連決議を踏まえた多国籍軍参加に賛成せざるを得ません。その理由は、1.イラク国民の生活、2.世界各国との友好関係、3.日本の国益。日本国憲法との問題を指摘する意見、又自衛隊の多国籍軍参加に反対する意見がある事は理解していますが、9条の解釈問題については最終的な判断は最高裁の判断を仰ぐべきだと思います。現代社会では、日本一国だけでは世界情勢に対処できません。又日本国民の安全も図れません。この現実に責任を持つのが政治家であり、考え方を同じくする国との協調が必要です。政治においても、皆さんの人生と同様、時に苦渋の決断を必要とします。
外交問題一般についていえば、日本はもっと積極的に日本の国益、日本の立場を明確に主張すべきです。「国連の分担金の20%も負担している日本が未だに国連安全保障委員会の常任理事国になれず、1%前後の国連分担金しか負担していないロシア、中国が国連安全保障委員会の常任理事国として拒否権を発動できる」といった状態は至急改善すべきです。明治の外交官、陸奥宗光、小林寿太郎の英知に習い外交努力を傾注すべきです。"No representation, No Tax."は米国独立運動の言葉ですが、日本が世界に発すべき言葉でもあります。
憲法問題について、9条だけを取り上げる議論に私は反対です。先ず民主主義の理念としての憲法の原理原則を考える必要があります。現在の日本国憲法は日本が占領下にあった特殊な時期に、マッカーサー占領軍司令部(GHQ)の意向で1946年11月3日に公布されたものです。日本国民の自由な意志によるものとは言えません。日本の敗戦が1945年8月15日、1946年2月の幣原内閣が政府原案を作成。GHQはこの原案を全面的に拒否し、自ら作成した英文草案を日本に提示したのは歴史的事実です。現在の日本国憲法は米国のGHQに関係する、憲法や法律には素人同然の20代の米国人によって英文で書かれた物を日本語に訳した物であり、民主主義の原理原則に反しています。この辺の経緯は全世界の知るところです。憲法は民主主義の基本原則です。民主主義を標榜する人達が、民主主義の根幹となる憲法においてその設立の経緯を無視しているのは腑に落ちません。占領下という特殊な時期に法律や憲法については素人の米国人によって急拵えに作られた現在の日本国憲法には、言葉としては美しい理念に満ちてはいますが様々な矛盾、問題点も同時に含まれています。このため、憲法9条も含めこれを見直す時期が来たと考えています。
解決すべき日本の直面する経済問題は2点。膨らみ続ける財政赤字と雇用の問題です。この2点から見る時、小泉首相の経済政策は方向性は間違っていませんが、未だ道遠しと評価しています。及第点はあげられません。
小泉首相は、2001年4月24日の自民党総裁選挙で「繁栄を迎えた1964年の東京オリンピック以降政府は借金を始め、最初の100兆円の借入残高を作るのに18年、200兆円に達するのに更に11年、100兆円増やし300兆円に達するのに5年、更にわずか3年で100兆円増加し400兆円に達しようとしている」と述べています。その発言にもかかわらず、その後も政府の負債は増加を続け、財政投融資等の隠れ借金迄加えれば既に900兆の借金に達しています。又1997年当時3%前半、更に長年に渡り2%台であった失業率が未だに5%台で高止まりしています。この事実を見ると評価は出来ません。経済政策の評価とは具体的な数値に基づき行うべきです。
郵政事業の民営化に賛成です。国鉄も民営化によってよみがえった。民営化後、運賃の値上がりは未だありません。郵政民営化には郵政関係者が自民党を支持し、又郵政関係労組は民主党を支持し何れも民営化に反対していますが民営化は郵政事業のためです。あれ程、莫大な借金を抱えた国鉄でさえ民営化によって蘇ったのですから、民営化すべきです。
人材は国、社会の基です。教育は大変重要な社会的基盤です。それだけに党利党略で教育を論じてはなりません。私は教育の実践者だと自負しています。将来の日本を背負って立つ人材育成を目指し、1994年佐々木インターナショナルアカデミーを設立致しました。それだけに一部の無責任なバラ色の教育論には閉口しています。教育の可能性と限界を踏まえて教育を実践すべきだと考えています。教育によって全てが解決する様な事を主張する人がいますが、これは人に対する冒涜であり、傲慢な態度だと思います。
教育はその人の持って生まれた資質を時代時代に合わせて最大限に開花させる事であり、それが教育の可能性でもあり、限界でもあります。複雑化する現代社会とは言え、基本原理、原則は変わりません。この原理原則をしっかりと教え、社会生活を送る上で必要な基礎を身に付けさせる事です。同時に「生命、人間の計り知れなさとその可能性に対する畏れと敬意」を身に付けさせる事が出来れば素晴らしいと考えています。特に若い人達に、私が協調したいのは"Challenge the World, Challenge Yourself"、絶えず世界に挑戦し、自らの限界に挑戦する精神です。